702講義室
2018-03-13 15:06:00
見えないって、こんな感じ
人間は、自分の知っているものしか認識出来ない
人間は、自分にとって重要なものしか認識しない
そう言われても、そうそう納得できるものではないでしょう?
いや、目の前にあるものは、全部見えてるよ
テーブルの上にあるものは、全部認識できているよ
って・・・・・
いえいえ
認識できているものは、あなたに見えているものだけですよ
って・・・・・言われても、困ります
何もない道を歩いていて、突然何かにぶつかったりしたらどうでしょう?
いや、ぶつかるくらいなら、それは重要なものでしょう
話がややこしくなるばかりです
半側空間無視(はんそくくうかんむし)という脳の症状があります
これは、脳の病気、症例なのですが
なんとなくニュアンスがつかめるかもしれませんのでご紹介します
例えば、左半分の世界が無いのです
視界の左半分が、真っ黒なわけではありません
本人は、いたって普通に見えていると思っているのです
ところが、それこそ先ほど言いましたように
何もない(はずの)道を歩いていて突然、左肩が何か、たとえば電信柱にぶつかるというようなことが起きるのです
テーブルの上に、料理のお皿が何枚かおいてあるとします
テーブルの上のものは、全部見えていたつもりなのですが
いざテーブルについて、食事を始めると
テーブルの上の左側にあるお皿には、気が付かないのです
さらに、お皿の上の料理を食べ始めると
お皿の左半分にも料理があることに、気が付かないのです
気が付かないとは、視野の左半分に意識がいかないということです
つまり、見えていないのです
ものを見るとは、このように意識という脳の機能に深く関係しているのです
2018-02-01 09:56:00
なぜ人間は、芸術できるのか?
なぜ人間は、芸術活動を行うのか?
言い換えれば
なぜ人間以外の動物は、芸術活動を行わないのか?
「芸術活動とは、抽象思考を前提とする」
ということを、前回述べました
ということは
動物は、抽象思考をしないということでしょうか?
運動ホルモンであるドーパミンは、脳内にあるVTAと側坐核という所から放出されます
基本的に運動は、物理空間において行われるものですが
脳だけは、情報空間において運動します
抽象思考とは、情報空間における運動であり
前頭前野が活動することによって、抽象思考が行われます
人間と動物の違いは
ドーパミンの源泉であるVTAと側坐核から前頭前野に対し、人間にだけあるA10神経束によって、ドーパミン経路が直接繋がっていることにあります
つまり
運動ホルモンであるドーパミンが、前頭前野に流れることで
人間は唯一、抽象思考をすることができるわけで
結果として、人間にのみ芸術活動が生まれたということです
2018-01-30 10:59:00
芸術家の毎日の仕事
芸術家がキャンバスに向かうのは、最後の最後です
さらに
その作品に対する詳細なイメージを、頭の中に描き上げる以前の問題として
自分の目的とする芸術が、概念として構造をもって構築されている必要があります
膨大な知識と経験と技術を前提に
それらを抽象化したうえで、シンプルな規則性を導き出し
情報空間において、オリジナルの芸術概念を構築したうえで
物理空間に定着させるために、物理的要件に則して詳細を検討し
その最終段階として、初めてキャンバスに向かうことになります
芸術家の毎日の仕事は
絵筆を持ってキャンバスに向かい続けることではなく
芸術家の本当の仕事は
脳の中の情報空間で、巨大な構築物である芸術概念を
考え続けることにあります
2018-01-29 11:57:00
・・・であるための根幹
人間の行動には、必ず意図があります
確かに
何も考えていないと思われる人、反射だけの人
というのもいるようですが
その人が、顕在意識において何も考えていなくても
潜在意識のレベルにおいては、必ず何らかの意図を持っている
のだそうです
さて
絵を描く意図とは、どのようなものでしょうか?
ここでは
お金、虚栄心、社会的成功などの二次的な話ではなく
作品に託される本質的な意図に焦点を当てて論考したいと思います
私たち人間は、言語空間に生き、言語により思考します
しかし
視覚情報を言語化した場合、その大半が欠落してしまうのと同様
言語情報をそのまま画像に変換したのでは、さらなる欠落・固定化が起るだけです
言語性思考と視覚性思考とは、そもそも次元の違うものですが
絵画を意図する場合、そのどちらも同時に包含した思考でなければならない
次元の違うものを、同時に存在させることなど不可能にも思われるが
この二つの次元を包括する上位概念に、抽象度を上げて思考する必要があるということです
「言うは易く行うは難し」どころか
「言うも難しく行うはさらに難し」ではありますが
意図が、作品の主幹に据えられる現代美術において
その意図のあり様が、芸術であるための根幹であることは言うまでもありません
2018-01-27 13:42:00
言語の思考 絵画の思考
私たちは通常、言語を使用して物事を考えます
言語は、時系列直線的に展開する性質をもつ
したがって
思考は、A→B→C→D→・・・と順番に進むことになる
しかし
実際に物事は直線的に順次展開などしません
複数の要素が、それらの関係の中で同時に作用し
さらなる周辺要素にも影響を与えながら変化していきます
したがって
言語による順次直線的な思考には、限界があります
逆に言えば
私たちは普段、言語でできる思考しかしていないということにもなります
ここに
絵画における着目すべきひとつのポイントがあるように思います
多様なる要素が、時間という概念を排して一画面の中で
互いに絡み合い、全体としての関係性を構築する絵画を
言語的思考法では捉えきることは出来ないでしょう
絵画と対峙するには、別の視覚的思考法なるもの?によらなければならない
ということになるでしょう