702講義室
2018-04-09 07:53:00
写実の裏舞台
現代美術は、言うに及ばず
近代美術の具象絵画においても、実物を目の前にしてキャンバスに直接、写し取っていくという現場主義的な制作手法は、いまや珍しいといっていいでしょう
リアルであればあるほど、写真を使用しているのは間違いないありません
19世紀の初めに写真が発明されて、美術界に衝撃が走りますが
そもそも、人間に正確なデッサンなどできるものでしょうか?
デッサンと言えば、ご存じ石膏デッサンですが
分かりやすく、1辺1mの直方体の石膏で考えてみましょう
直方体の角度を振らず、眼の高さに中心が来るよう前方1m、真正面に配置します
この状態ですと
1焦点透視図法となり、正面は正方形となります
眼の高さを変えずに、そのまま左辺へ視線を移動すると
2焦点透視図法となり、右辺より左辺の短い台形になります
その位置から左上角に視線を上昇させますと
3焦点透視図法となり、縦横線ともに平行線ではなくなります
つまり
頭の位置、視点を固定しても、対象物上を視線が動けば
対象物の角度と位置を動かしたことと同じことになり
形状が変わって見えてしまうということです
それでは
眼の方向、視線を固定して対象物を正確に観察することはできるのでしょうか?
眼の網膜にある視細胞は、均一に配置されているわけではありません
そのため
2.0の視力を持つ人が真正面を見た場合
はっきり見える視野の中心から周辺部に移るにつれ
しだいに色が認識できなくなり、つぎに形も認識することができなくなります
周辺部では、0.1くらいの視力になってしまうそうです
この眼の生理機能を、忠実に作品に再現しようとした作品が
レンブラントの「夜景」です
しかしこの絵は、人間の生理機能に従って、眼に見えたものを忠実に写実したわけではありません
モデルの群像を前にして直接制作したわけではなく
計画的に、個別にひとりひとり描いたうえで
わざと、このように周辺部をあいまいにしているわけです
いかにも自然に見えるように、きわめて不自然な描き方をしていると言ったら嫌味でしょうか?
それに対して、素直にそのまま眼をキョロキョロさせて描いた絵が
ブリューゲルの「雪中の狩人」です
どちらが「良い、悪い」というわけではありません・・・・・あしからず
2018-04-08 16:47:00
古い絵を現代美術にしてみました
美術は、時代社会に即するさまざまな要因により、受け身的な形でその活動様式を変遷させていきます
時代的要因、地域的要因、経済的要因、
技術的要因、宗教的要因、内容的要因などにより
さまざまな主義、会派が生まれ分類されることとなります
がしかし
それらは互いに全く相いれないものかと言えば、そうとも言えないでしょう
ではここで
脳科学という視点で、過去の絵の中からいくつかの作品を拾い上げ、括ってみたいと思います
人間は、物に反射した光を眼の網膜に写して世界を見ているわけですが
脳は、網膜に敷き詰められた視細胞に入力される光情報を、そのまま一枚の絵として変換、画像処理しているわけではありません
脳は、網膜に入った情報を
色、形、位置、動きという四つの要素に分解、モジュール化して別々に処理しているのです
この脳機能の観点から、作品を分類すると
色彩視モジュール表現→→→モネ
形態視モジュール表現→→→ピカソ
空間視モジュール表現→→→モンドリアン
運動視モジュール表現→→→デュシャン
ということになります
これらを合わせて、「視覚モジュール主義」と言えなくもない?
それで何が言いたいのかというと
編集もまた、立派な著作に当たります
ですから
たとえ、本人は一枚の作品も制作していなくても
独自の視点から、コンセプトを作成し
過去の膨大な作品群の中からピックアップする、コンセプトに則した
編集行為、編集物もまた
現代美術と言えるのではないか?
ということです
2018-04-07 19:03:00
なんて趣味の悪い絵なんだ!
私の目の前に広がるこの景色
これは、私固有の景色でしかありません
あなたの見ている景色とは、同じではありません
ましてや
人間以外の動物が認識する世界とは、似ても似つかない景色なのです
それは、脳の認識レベルにまで至る話ではありません
目への入力の時点で、他の動物とはすでに条件が違うのです
第一点に、網膜にある錐体細胞が反応する電磁波の周波数域は、動物によって異なるという点があります
たとえ同じ、光の三原色システムであったとしても、その三色が違うのです
ここからです
第二点に、哺乳類の多くは、「二原色」システムで色を識別しています
進化の過程において、かつて哺乳類も、爬虫類も、鳥類も、恐竜も「四原色」だったと言ったら驚かれるでしょうか?
哺乳類は、生き延びるために夜行性となり、その結果、4つの錐体細胞の内の真ん中の2つを退化させてしまったのです
ところが、進化の過程において「二原色」となった哺乳類の一部に、さらに突然変異が起こり、錐体細胞が1つ復活することとなります
人間の目は、このような不自然な過程を経て、不完全な「三原色」システムとなったわけです
不完全というのは、錐体細胞の周波数反応域に偏りがあり、「三原色」システムで表現されるすべての色域を認識することができないという意味です
さて、それでは
「四原色」で世界を見ることができる動物とは、何でしょうか?
鳥です
鳥は、前回申し上げました純粋な「黄色」を直接見ることができます
さらに、鳥は「三原色」のレベルで、人間よりも広い色域を認識することが可能なのです
さらに、+1色の「四原色」の世界とは、いったいどのようなものなのでしょうか?
人間には、認識できないのですから、想像のしようもありませんが
ニュアンスだけはわかりますので、「四原色」ではなく「三原色」と「二原色」の差で説明します
多くの哺乳類は、「二原色」のままです
例えば、ネコ
ネコに敬意を表して、先に言っておきますが、これは色に関してのみです
ネコの暗闇での識別能力や動体視力は、とうてい人間の太刀打ちできるものではありません
ですから、これにおいて、ネコの視力が劣っているというわけではありませんので
あしからず
色域は、空間で表すことができます
ネコにおきましては、仮にですが「赤」と「青」の二原色だとしますと
x軸とy軸の平面で表現できます
人間は、これに「緑」が加わりますので
x軸とy軸にz軸が直交して、立体になります
1次元違うだけで、これほど色域に差が生じるということなのです
さらに
鳥は、これに加え、人間の認識できない「紫外線」領域が加わることになり
4次元空間域になるということです
これは、空間図形で想像することすら難しいですね
人間と鳥との視覚認識能力レベルは、これほどまでに差があるということがお分かりいただけたでしょうか?
さてさて
その鳥が、人間の芸術家とやらが書いた絵画を見たらどう思うでしょうか?
「なんて色彩センスのない、へたくそな絵なんだ」とバカにされてもしょうがない
と想像してしまうのは、ボクだけでしょうか?
2018-04-06 23:05:00
人間に黄色は見えない
「三原色」というのを聞いたことがあると思います
テレビのモニタ画面だとか
デジタルカメラの受光素子だとか
三つの色の組み合わせでフルカラーを再現するというあれです
ここで
「人間には、黄色は見えない」
と言ったら、驚かれることでしょう
多少語弊があり、錐体細胞に関して厳密性を欠いてはいますが
大筋で間違ってはいませんので
あえて、おおざっぱに話をします(笑)
光の三原色(レッド、グリーン、ブルー)は、前述のように工業製品で、当り前のように採用されていますが
「物理学的には、そのような(三原色)概念はありません」
もっと言えば
インクの三原色(シアン、マゼンダ、イエロー)にしても
「絵の具を混ぜても、別の色になどなりません」
と言ったら、さらに驚かれることでしょう(笑)
「光の三原色」という概念は
人間の網膜には、色に反応する3種類の錐体細胞がある
それぞれの細胞は、赤、緑、青に反応する
この3色の掛け合わせで、フルカラーを認識する
という人間の生理的都合からなるものです
光とは、電磁波のことです
人間に見える光は、可視光と言って周波数380nm~780nm範囲内の電磁波ことです
780nmより長い波長に、赤外線、FMとかAMとか電波があります
380nmより短い波長に、紫外線、ガンマ線、エックス線などが続きます
(ナノメートルnmとは、10億分の1メートルのこと)
「色とは、電磁波の波長に対応する、人間の脳の解釈である」
ということは、前に述べました
さて、黄色とは何でしょう?
黄色とは、(物理学的にいえば)周波数580nmあたりの電磁波のことです
ここで大事なことは
黄色に対応する純粋な電磁波はあるということです
がしかし
人間には、その純粋な黄色を直接見ることのできる視細胞はありません
人間が認識する黄色とは
赤(625~740nm)と、緑(625~740nm)の掛け合わせにより、黄色だと感じている錯覚に過ぎないのです
ズバリ!
「赤の波長」と「緑の波長」を重ね合わせても、「黄色の波長」にはなりません
「赤の波長」と「緑の波長」がそのまま2つあるだけです
人間が、黄色だと認識する「赤の波長」と「緑の波長」を重ね合わせと
純粋な「黄色の波長」の電磁波とは、全くの別物であるということです
絵の具でも同じことでしょう
「青色」と「緑色」を混ぜても、「青緑色」ではありません
「青色の粒子」と「緑色の粒子」が混ざっているだけで
「青緑色の粒子」になるわけではありません
ですから
純粋な黄色が見える生物が、人間が黄色だと言い張ってる黄色を見ると
「それは、黄色でもなんでもない」
ということになりかねません
え?
「そんな生物がいるのか」って
います!それは、、、また後日・・・・・
2018-04-05 23:38:00
私の外にある宇宙
人間は、五感により外界の刺激情報を取り入れ
脳による解釈により、世界のあり様を認識する
視覚は、光(電磁波)を
聴覚は、音(空気の振動)を
臭覚と味覚は、分子(化学物質)を感知し
さらに
皮膚感覚には、触覚、圧覚、痛覚、温覚、冷覚があり
それぞれの感覚器が、それぞれの刺激を感知する
目、耳、鼻、舌、皮膚などの感覚器が
電磁波、振動、化学物質、圧力などの情報をとらえ
電気信号に変換したのちに、脳に送られ認識される
しかし、これらの電気信号には
満開の桜の色
鶯の鳴き声
ビールのうまみ
小春日和の暖かさ
などの質感情報は含まれてはいません
それらは、脳の勝手な創作でしかないのです
さらに言えば
外界から入ってくる刺激情報そのものに
色も、音も、臭いも、味も、熱さも、何の感覚も含まれてはいません
その段階から、脳による勝手な創作なのです
私の外に世界があるとしても
私の知りうる世界とは、似ても似つかない世界であることは
間違いない