702講義室
2017-01-31 09:12:00
今ここに自分がいる
人の行動には必ず理由がある
たとえば、歩くとは目的地に行くための行為であり
ただ歩く為に歩くという事はなかなかしないものだ
故に、人は常に先の時間を生きることとなる
意識は先の時間にあり、今にないことになる
これは、時計を先送りにしていることに他ならない
今という時間は、ただ流れ去るだけのものとなり
今という時間は、存在していないのと同じなのだ
時間がないと感じるのは、今に意識がないからだ
今を生きている限り、今という時間は終わらない
今という時間は、永遠に今のまま確かにここにある
今、ここに確かに自分がいる
2017-01-30 10:01:00
神の否定
あの日、菩提樹の木の下で
仏陀は何を捨てたのだろうか?
神への信仰
悟りを求める修行とは煩悩そのものである
苦行は快楽と同一階層の対極に位置する
神とはバラモン教のブラフマンのことを意味する
バラモン教とは当時の社会思想そのものであり
バラモン階級の支配論理以外の何ものでもない
宇宙は相対的関係性、縁起に起因し
絶対的基準、神など存在しないとした
魂、アートマンも実在しない
だから、輪廻転生もなく
過去の宿業などないのだ
仏陀の教えとは
神を否定したこの世の哲学に他ならない
2017-01-29 06:03:00
仏陀の捨てたもの
あの日、菩提樹の木の下で
仏陀は何を捨てたのだろうか?
時間は4番目の次元として時空間に確かに実在し
未来や過去は現在に対比する概念として存在する
がしかし、そこから
明日という幻を人間は作り出すこととなった
明日という概念を想定してしまったがゆえに
人間は、不安という幻に生きることとなった
仏陀は、明日という概念を否定したのではないだろうか?
托鉢は明日の命の否認であり
歩行禅としての布教行脚は
今を確かに生きる瞑想行である
仏陀は、自らの生き様において
生命と時空の関係様を布教した
時間も空間も今ここにある
時間も空間も今ここにしかない
一念三千
明日に生きてはならない
今この時を確かに生きよ
2017-01-28 08:53:00
仏陀は救われたのか?
それで仏陀は救われたのだろうか?
あの日、菩提樹の木の下で
仏陀は何をしたのだろうか?
捨てた
人間の生み出した現実
あの日、菩提樹の木の下で
仏陀は何を見たのだろうか?
無彩色の宇宙
それで人は救われるのだろうか?
2017-01-27 08:43:00
人間の矛盾
自我とは、煩悩そのものであり
煩悩とは、生命エネルギーである
煩悩とは、生きる喜び 目的あり、
煩悩を捨て悟りにいたることと
意義ある人生とは両立しえない
心とは現象であり実在はしないが、
機能、働きとしては存在する
連続性を持つ心の働きを自我という
生命活動と心の働きは同じ様相であり
生命なきところに自我は存在しえず
悟りにより消滅する自我に救済はない
煩悩とは生そのものであり
悟りとは死そのものである
生きている限り人間に救いはなく
人間の生きる目的は死でしかない
?