702講義室
2018-01-30 10:59:00
芸術家の毎日の仕事
芸術家がキャンバスに向かうのは、最後の最後です
さらに
その作品に対する詳細なイメージを、頭の中に描き上げる以前の問題として
自分の目的とする芸術が、概念として構造をもって構築されている必要があります
膨大な知識と経験と技術を前提に
それらを抽象化したうえで、シンプルな規則性を導き出し
情報空間において、オリジナルの芸術概念を構築したうえで
物理空間に定着させるために、物理的要件に則して詳細を検討し
その最終段階として、初めてキャンバスに向かうことになります
芸術家の毎日の仕事は
絵筆を持ってキャンバスに向かい続けることではなく
芸術家の本当の仕事は
脳の中の情報空間で、巨大な構築物である芸術概念を
考え続けることにあります
2018-01-29 11:57:00
・・・であるための根幹
人間の行動には、必ず意図があります
確かに
何も考えていないと思われる人、反射だけの人
というのもいるようですが
その人が、顕在意識において何も考えていなくても
潜在意識のレベルにおいては、必ず何らかの意図を持っている
のだそうです
さて
絵を描く意図とは、どのようなものでしょうか?
ここでは
お金、虚栄心、社会的成功などの二次的な話ではなく
作品に託される本質的な意図に焦点を当てて論考したいと思います
私たち人間は、言語空間に生き、言語により思考します
しかし
視覚情報を言語化した場合、その大半が欠落してしまうのと同様
言語情報をそのまま画像に変換したのでは、さらなる欠落・固定化が起るだけです
言語性思考と視覚性思考とは、そもそも次元の違うものですが
絵画を意図する場合、そのどちらも同時に包含した思考でなければならない
次元の違うものを、同時に存在させることなど不可能にも思われるが
この二つの次元を包括する上位概念に、抽象度を上げて思考する必要があるということです
「言うは易く行うは難し」どころか
「言うも難しく行うはさらに難し」ではありますが
意図が、作品の主幹に据えられる現代美術において
その意図のあり様が、芸術であるための根幹であることは言うまでもありません
2018-01-27 13:42:00
言語の思考 絵画の思考
私たちは通常、言語を使用して物事を考えます
言語は、時系列直線的に展開する性質をもつ
したがって
思考は、A→B→C→D→・・・と順番に進むことになる
しかし
実際に物事は直線的に順次展開などしません
複数の要素が、それらの関係の中で同時に作用し
さらなる周辺要素にも影響を与えながら変化していきます
したがって
言語による順次直線的な思考には、限界があります
逆に言えば
私たちは普段、言語でできる思考しかしていないということにもなります
ここに
絵画における着目すべきひとつのポイントがあるように思います
多様なる要素が、時間という概念を排して一画面の中で
互いに絡み合い、全体としての関係性を構築する絵画を
言語的思考法では捉えきることは出来ないでしょう
絵画と対峙するには、別の視覚的思考法なるもの?によらなければならない
ということになるでしょう
2018-01-26 07:41:00
何をすればいいのか?
あなたの目の前に広がる景色、そこで繰り広げられるドラマ
それらは、あなたの世界でしかありません
あなたの脳は、見たり聞いたりする膨大な情報の中から
あなたにとって重要なものだけを選別し、処理をします
つまり、重要でないと判断されたものは認識されません
(脳の基底部にある網様体賦活系によるシステム)
あなたに見えている世界は、
あなたに聞えている世界は、あなたの頭の中なのです
そして
あなたに見えている世界が、
あなたに聞えている世界が、あなたそのものなのです
重要度が変われば、あなたの現実世界はその様相を一変させるでしょう
芸術とは、現実の創造である
ならば
重要度の見直しこそが、重要度の創作こそが、重要度の主張こそが
芸術活動の本質的要素なのではないのか?
私は、そう思います
2018-01-25 12:28:00
あるがままの姿
絵画を鑑賞するとき
どのように作品と対峙するのが正しいあり方なのか?
「冗談じゃない!そんなものは、自由なんだ」
今、そう思われた方が大半ではないかと思います
その意見に、異論はありません
だけど
少しだけ、私の話を聞いてください
絵画とは、視覚表現メディアです
1枚の作品にも、膨大な情報が内在されています
がしかし
そこに言語作用が働いてしまうと、情報の大半に欠落もしくは固定化が起こります
これは、「樫の木」だ
と言語にした瞬間に、あなたの知っている樫の木に限定され
これは、「ベンチ」だ
と言語にした瞬間に、ベンチが個の存在として意味を持ち
ここは、「公園」だ
と言語にした瞬間に、あなたの記憶の中の思い出を呼び起こします
言語束縛とは
「言語による想念が、世界を規定してしまうこと」を言います
これは何か?という言語による思考の介入は、あなた固有の雑念でしかないのです
言語による思考を取り払わない限り、その作品の本当の姿は見えてこない
作品を「あるがままに見る」ことは出来ない
ということではないでしょうか