702講義室
2017-02-03 08:58:00
天才的異端児 親鸞
聖道門とは
自力の行に励み、この世で悟りを開く事を目指す聖者の道
浄土門とは
念仏を称えて来世に浄土に生まれ、悟りを得ようとする凡夫の道
比較するまでもなく、聖道門の方がいいに決まってます
がしかし誰にでも出来ることではありません。それでは
学問も修行もできない庶民はどうすればいいのでしょう
結果として、救われたらいいわけですから
何もかも極める必要はないということです
苦肉の策として、法然が説いた教えが浄土門で
南無阿弥陀仏と称えるだけでOKにしましょうよ
っていう話だった
だったはずがやっちゃいました
親鸞においては念仏さえも必要なし
仏を自ら信じる必要すらないという
究極にまでデフォルメしてしまいます
いやはや
絶対的な存在である神仏を前提とする哲学において
絶対他力こそが宗教の結論に達したということですか
合 掌
2017-02-02 08:18:00
他力と自力
自力であろうが、他力であろうが
どうでもいいのです
仏教とは仏様の救済システムです
自力と他力はどう違うのか?
自力とは「猿のシステム」
子ザルに危険が迫ったとき
母ザルは子ザルを抱いて逃げます
この時
子ザルは母ザルにしがみつきます
これが自力です
他力とは「猫のシステム」
子ネコに危険が迫ったとき
母ネコは子ネコをくわえて逃げます
この時
子ネコはおとなしくしてるだけです
これが他力です
結局、母親が助けてるだけなのです
結局、人間は無力ということでしょうか
2017-02-01 11:37:00
異端の教え
南無阿弥陀仏
念仏を称えても幸せにはなりません
病気も治らなければ
商売繁盛もしません
試験も合格しません
願いはかないません
極楽往生
死んで極楽浄土に生まれかわるのみ
念仏を称える必要もありません
念仏は称えさせてくれるのです
仏様を信じる必要もありません
信じさせてくれるだけのことです
他力本願
およそ、この世のはからいごとなど
空言、戯言、何の意味もないのです
ただ阿弥陀如来におまかせするのみ
今、このままが救われた自分なのです
自然法爾(じねんほうに)
あるがまま、そのまま
2017-01-31 09:12:00
今ここに自分がいる
人の行動には必ず理由がある
たとえば、歩くとは目的地に行くための行為であり
ただ歩く為に歩くという事はなかなかしないものだ
故に、人は常に先の時間を生きることとなる
意識は先の時間にあり、今にないことになる
これは、時計を先送りにしていることに他ならない
今という時間は、ただ流れ去るだけのものとなり
今という時間は、存在していないのと同じなのだ
時間がないと感じるのは、今に意識がないからだ
今を生きている限り、今という時間は終わらない
今という時間は、永遠に今のまま確かにここにある
今、ここに確かに自分がいる
2017-01-30 10:01:00
神の否定
あの日、菩提樹の木の下で
仏陀は何を捨てたのだろうか?
神への信仰
悟りを求める修行とは煩悩そのものである
苦行は快楽と同一階層の対極に位置する
神とはバラモン教のブラフマンのことを意味する
バラモン教とは当時の社会思想そのものであり
バラモン階級の支配論理以外の何ものでもない
宇宙は相対的関係性、縁起に起因し
絶対的基準、神など存在しないとした
魂、アートマンも実在しない
だから、輪廻転生もなく
過去の宿業などないのだ
仏陀の教えとは
神を否定したこの世の哲学に他ならない