702講義室
2017-01-14 08:20:00
生まれ変わりに関する考察
東洋哲学における時間認識について
「時間は未来から過去へ流れる」
ということは先に述べました
さらに次のように考えます
「時間は連続的に流れているわけではなく
瞬間ごとに消えては生まれる離散的な存在である」
これを「刹那(せつな)瞬」といいます
量子論では、時間には最少ユニットがあり
時間の最小単位は
10のマイナス44乗秒(1兆×1兆×1兆分の1秒)というプランク時間である
とする概念とも一致します
量子論では、さらに
空間にも最小ユニットがあるとします
空間の最小単位は
約6.62606896×10のマイナス34乗メートル(1兆×1兆×10億分の1メートル)
つまり、空間もまた不連続でつながっていないのです
時間と空間は同じものです
ならば
空間内における2人の人間が別人であるのと同じく
時間内における2人の人間は別人であるはずです
がしかし
今日の自分と明日の自分が同一人物なのはなぜでしょう
それは、縁起という関係情報が維持されているということです
自分自体は、瞬間ごとに入れ替わっているのだが
縁起という関係性が継続しているということです
つまり、自分とは縁起という関係情報でしかなく
同じ状況だから同じと思っているだけなのです
情報が変われば、自分は違う人ということです
2017-01-13 08:27:00
私と世界の在り様
私という存在に物理的自体はありません
物理的肉体は、継続する遺伝子情報に基づいて
常に入れ替わり続ける流動的な存在です
さらに
自我とは、他者との関係性という情報でしか
定義出来ない存在なのです
関係とは、点と点を結ぶ線のことで
点である私には、面積も体積もありません
私とは、単独で存在することのできない情報状態なのです
世界とは、つまるところ私の脳と心の中の存在でしかありません
脳が情報処理した結果が、この世界の様相であり
認識したものが認識した様で存在するのが世界なのです
この世は情報でしかありません
その情報の中心点が自我です
そして
線のつなぎかえで自我は変わります
2017-01-12 07:54:00
物理的実体に対する暫定
情報場における相対的関係性の
書き換えは、物理場で現象化する
(ただし、物理法則に反しない限りにおいて)
なぜなら
物理空間は情報空間に包括される一階層であり
物理的な実体は情報場の写像でしかないからです
と言われても、物理的実体に関しては
そうそう納得するわけにはいかないでしょう
とりあえず、現時点では
「物理は変わらないが、事実認識が変わる
素粒子の配列は変わらないが、様相が変わる」
という認識でいいとします
2017-01-11 09:57:00
物理と情報の物語
どこにでもある、ただのダサい袋
¥10000円の値札
「うぁっ!Σ( ̄口 ̄;;高ぁ~~~」
有名ブランドのロゴ
「えっ♪安いかも?でもなぁ~・・・」
人気タレントが肩にかけている写真
「やっぱ、カッコいい!欲しい♪」
奥からの店主が「トテモ安いアルヨ♪」
「ぜ、絶対いらねぇΣ( ̄。 ̄ノ)ノ」
袋に罪はありません (人´∩`) あしからず・・・・・
あれ?ちょっと待って!
それが袋だって、どうして思ったの?
2017-01-10 15:06:00
自我という思い込み
自分や自分を取り巻く世界を書き換えるとは
相対的関係情報を編集しなおすということです
そのためには、囚われのない自由な視点が必要です
しかし、これが難しい
なぜなら
自分自身が思い込みそのものだからです
自我とは、過去の記憶からなる評価関数です
その前提条件がきわめて偏狭的でありながら
相対的関係性における世界の中心だからです
だからまず
自分の持つ価値尺度を抑える必要があります
いいとか悪いとかは、状況により変わります
その状況にとらわれない高い抽象度において
物事を全体的にとらえ、編成しなおすことにより
物事の持つ意味そのものを変えてしまう
これが情報場を書き換えるということです
(ただし、この段階は基本でしかありません)