702講義室
2017-02-08 08:45:00
仮説 法然の見た世界
法然は、25年にも及ぶの黒谷での籠山隠遁で
世間とも、山の名利栄達からも隔絶し
どっぷりと仏教が織りなす宇宙空間に浸ります
そこでは
地獄も浄土も仏もすべてが現実であった
経典の一字一句が仏の真理であり現実であった
法然がそこで見たものは
脳の中の宇宙
仏教という色物の世界
大乗仏教という仏物語を透過して
ものごとをありのままに見ることなど
不可能
絶対的前提たる経典への懐疑
法然の見た世界とは
仏教による五感の解釈でしかなかった
2017-02-07 07:57:00
仏教が作った末法の世
聖徳太子(一七条憲法)あたりまでの仏教は
外来宗教の一つでしかありませんでした
その後、鎮護国家思想のもと東大寺や国分寺が建立され
社会思想として仏教が国全体に認知されることとなります
法然の生きた平安末期から鎌倉初期という時代は
律令制の崩壊、武家政治の台頭という乱世の時代です
殺人、餓死、病死、放置された死体が都にあふれ返る
この荒廃した時代を仏教が意味づけします
末法の時代
末法の世とは仏教が脚色した時代にほかなりません
末法思想がなければ末法の時代などありえません
2017-02-06 12:44:00
仮説 法然の念仏
法然は、43歳で比叡山を下りるまでの25年間において
すべての経典を徹底的に研究し尽くしたのだと思います
そして、たどり着いた結論が
現実の否定
であったのだと仮説します
平安末期の前提的社会思想である仏教
その絶対的根拠である経典を逆手に取った
宗教革命
社会革命
が、法然の称名念仏であると仮説します
2017-02-05 10:47:00
前提条件付き真理?ってなんだ
この世は、人間の作り事でしかありません
「目の前にある物質は、確かにそこに存在する」
誰の目にも疑いようないこの現実は
ハイゼンベルクの不確定性原理によって否定されました
「数学は、自己完結した絶対的システムである」
つい数十年前まで、そう信じられてきた数学は
ゲーテルの不完全性定理によって否定されました
物理学においても、数学においてさえも
前提ありきの世界でしかなかったのです
ユークリッドは、『原論』の中で公準が真理だとは書いていません
「これら5つの事柄が真であると要請する」と書いているだけです
つまり、何事においても仮前提から始まっているのです
宗教の世界は、神の存在とか、悟りの世界があるとか
その強制的な前提の上にしか成り立たない世界です
現在の私たちが生きているこの世界においても同様です
誰かが創作した社会思想・制度上の世界でしかありません
その誰かにとって都合のいい前提上のものでしかないのです
ハイゼンベルクもゲーテルもまた、何かの前提の上でしかなく
その前提の行きつくところが神であれば、永遠に真理などない
真理は、信じることによって初めて真理なのです
つまり、嘘っぱち・・・・・
2017-02-04 07:39:00
仏教は生きている
約2600年前、古代インドにおいて仏教が生まれました
仏陀本来の教えをオリジナル仏教とすると
仏陀入滅直後、500人の阿羅漢による結集が行われ
編纂された原始経典が出家仏教である小乗仏教です
仏陀入滅500年後に民衆仏教である大乗仏教が生まれ
紀元7世紀頃になると、さらに土着化し密教が現れます
大乗仏教で原始仏教50%+ヒンドゥー教50%
密教になると原始仏教10%+ヒンドゥー教90%
その後、仏教は中国を経て朝鮮、日本へと伝わります
道教、儒教、日本においては神道などと融合を重ねつつ
長い時間をかけ仏教は大きく変化を続けることとなります
いいように言えば
継続性を持って変化し続ける思想、仏教
仏教とは何なのでしょうか