2017-02-07 07:57:00
聖徳太子(一七条憲法)あたりまでの仏教は
外来宗教の一つでしかありませんでした
その後、鎮護国家思想のもと東大寺や国分寺が建立され
社会思想として仏教が国全体に認知されることとなります
法然の生きた平安末期から鎌倉初期という時代は
律令制の崩壊、武家政治の台頭という乱世の時代です
殺人、餓死、病死、放置された死体が都にあふれ返る
この荒廃した時代を仏教が意味づけします
末法の時代
末法の世とは仏教が脚色した時代にほかなりません
末法思想がなければ末法の時代などありえません