702講義室
2017-03-25 07:59:00
死ぬ権利
にわかに、信じられない話ではあるが
脳は、疲れないそうだ
「いや!本を長時間読み続けると疲れる」
私は、実感としてそう主張したいのだが
それは
眼球だとか腰だとか、別の部位の疲労を
脳の疲労だと錯覚しているのだそうだ
脳は、寝ても覚めても生命を維持するために
フルパワーで働き続けている
なるほど、そういわれてみれば
心臓も、肺も止まるわけにはいかないし
外界の変化に対応し、体温など常に一定に保たれている
脳は、生きるための命令を
一時も休むことなく出し続けている
がしかし、それは自分の意志によるものではない
たとえば
人間は、自分の意志で腕を動かしたつもりでも
意識が動かそうと思うより前に
脳から動かすための命令が出ているのだそうだ
結局、人は脳に操られていて
人間に自由意思はないのか?
人間は、誰の意志で生きて
誰の意志で死ぬのだろうか
死ぬ自由意思に、脳を同調させることが出来れば
人間は死ぬことが出来るのだろうか?
2017-03-24 07:16:00
妄想・妄想・妄想
「考え事をしていた」って言うけれども
本当に考え事をしていたのでしょうか?
じゃあ、一時間前に考えてたことを言ってください
まず、思い出さないのではないでしょうか?
それは、考えていたのではなくて
思考が浮かんでは消え
あっちこっちに彷徨っていただけではありませんか?
ふと思い出した嫌な出来事から、思考は暴走を始め
ありもしない現実や未来までをも、でっちあげては
相手に対し、怒り狂ってたのではありませんか?
考える意味のないことを、あれこれ考えては
勝手に、不安に押し潰されてはいませんでしたか?
思考をコントロールすることは難しいかもしれませんが
思考を監視し、思考を意識することは意外に出来ます
「今、私は意味のないことを考えている」
人は、一日の大半を全く無駄な思考に費やしてしまって
現実の世界を24時間、生きているわけではないようです
2017-03-23 07:29:00
さみしさの理由
目の前に広がる現実世界は
私の脳の中にしか存在しない
そこで繰り広げられるすべての出来事は
五感より入力された情報を、私固有情報処理プログラムにより
私の脳が独自に処理した結果でしかない
私の世界に登場するあなたは
私の記憶と都合に基づき解釈されたあなたの幻影であり
あなたそのものを直接理解しているわけではない
私の世界におけるすべての解釈は
あくまでも私に基づいたものであり、そこに客観性などない
だから
私とあなたが分かり合えることなどありえない
あなたの宇宙に私を受け入れさせることも
あたしの宇宙にあなたを取り込むことも
絶対に出来ない
2017-03-22 07:32:00
煩悩の原理
快と不快は
相対関係ではなく連続関係にある
快を感じる「報酬系」神経回路は
不快を感じる神経回路とは別に
系統発生的に進化したものである
その目的は、生命保存のための危険回避にある
先に、危険に対する不快があり
その不快を排除することにより
安全である快を感じるのである
だから、快を求める欲求は生存に基づいたものであり
快を求める煩悩は、尽きることはない
尽きてはいけないのだ
2017-03-21 08:32:00
お釈迦様の手のひら
お釈迦様の手のひらとは
人間の脳のことである
私の認識しているこの現実世界は
何処まで行っても、私の脳機能から逃れることはできない
五感を通して入力された刺激は、電気信号となり脳へと伝えられる
脳はその情報を選別し、過去の記憶と照合しながら情報処理を行う
これにより認識された世界を、認知心理学では「内部表現」という
(それに対する「外部表現」という概念はない)
たとえば、目の前に広がる景色は、モノそのものでもなく
モノに反射された電磁波を素材とした脳の創作物であり
そのような世界がそのままそこにあるわけではないのだ
さらに、人間は
自分にとって重要であること、記憶(知識)にあることしか
認識することはできない
他の情報は、脳のフィルタ機能により選別され処理されない
つまり、存在しないのだ
私が、そうだと確信しているこの世界での出来事は、すべて
私の脳の中でしか存在しえない私固有の世界でしかなのだ