2017-01-14 08:20:00
東洋哲学における時間認識について
「時間は未来から過去へ流れる」
ということは先に述べました
さらに次のように考えます
「時間は連続的に流れているわけではなく
瞬間ごとに消えては生まれる離散的な存在である」
これを「刹那(せつな)瞬」といいます
量子論では、時間には最少ユニットがあり
時間の最小単位は
10のマイナス44乗秒(1兆×1兆×1兆分の1秒)というプランク時間である
とする概念とも一致します
量子論では、さらに
空間にも最小ユニットがあるとします
空間の最小単位は
約6.62606896×10のマイナス34乗メートル(1兆×1兆×10億分の1メートル)
つまり、空間もまた不連続でつながっていないのです
時間と空間は同じものです
ならば
空間内における2人の人間が別人であるのと同じく
時間内における2人の人間は別人であるはずです
がしかし
今日の自分と明日の自分が同一人物なのはなぜでしょう
それは、縁起という関係情報が維持されているということです
自分自体は、瞬間ごとに入れ替わっているのだが
縁起という関係性が継続しているということです
つまり、自分とは縁起という関係情報でしかなく
同じ状況だから同じと思っているだけなのです
情報が変われば、自分は違う人ということです