702講義室
2017-01-16 08:03:00
戦うために
生物とは、生きているから生物である
生存本能が第一義であるのは疑いようがない
世界は、相対的関係性によって成り立つ
私とは、あなたがいるから私なのである
高度に進化した生物としての人間の欲求は
純粋な生存欲から派生し、相対的関係性へと変化する
幸せとは、(生命維持以上には)相対的尺度でしかなく
欲望とは、他者に対する優越性に他ならない
生存本能と世界との関係性を放棄することは
生きようとする人間にとって、不可能なことであるが
概念上ならば、人間の原点に立ち返ることは可能であろう
死を覚悟し、世間体という妄想を捨て去った時
そこに何が見えるであろうか?
そこにあるのが、答えである
2017-01-15 08:22:00
抽象度の階層風景
一見でたらめな状態に見える空間には
抽象化されたカオスというパターンが存在する
ある抽象度の系ではランダムに見えるものが
一つ上の系から見ると整合的なパターンを示す
低い抽象度である混沌とした無明のこの世界も
高い抽象度から眺めると整然とした世界として
美しく整合性のとれた縁起のパターンが現れる
この一つ上の系に上がる能力をゲシュタルトといい
これこそがありのままにこの世を見るということである
点という自我は幻に過ぎない
線が結ぶ関係性により自我は姿を現し
線の織りなす面こそがこの世なのだ
点を見てはいけない
線の織りなす縁起に働きかけることのにより
自分自身を、さらにはこの世を書き換えるのである
2017-01-14 08:20:00
生まれ変わりに関する考察
東洋哲学における時間認識について
「時間は未来から過去へ流れる」
ということは先に述べました
さらに次のように考えます
「時間は連続的に流れているわけではなく
瞬間ごとに消えては生まれる離散的な存在である」
これを「刹那(せつな)瞬」といいます
量子論では、時間には最少ユニットがあり
時間の最小単位は
10のマイナス44乗秒(1兆×1兆×1兆分の1秒)というプランク時間である
とする概念とも一致します
量子論では、さらに
空間にも最小ユニットがあるとします
空間の最小単位は
約6.62606896×10のマイナス34乗メートル(1兆×1兆×10億分の1メートル)
つまり、空間もまた不連続でつながっていないのです
時間と空間は同じものです
ならば
空間内における2人の人間が別人であるのと同じく
時間内における2人の人間は別人であるはずです
がしかし
今日の自分と明日の自分が同一人物なのはなぜでしょう
それは、縁起という関係情報が維持されているということです
自分自体は、瞬間ごとに入れ替わっているのだが
縁起という関係性が継続しているということです
つまり、自分とは縁起という関係情報でしかなく
同じ状況だから同じと思っているだけなのです
情報が変われば、自分は違う人ということです
2017-01-13 08:27:00
私と世界の在り様
私という存在に物理的自体はありません
物理的肉体は、継続する遺伝子情報に基づいて
常に入れ替わり続ける流動的な存在です
さらに
自我とは、他者との関係性という情報でしか
定義出来ない存在なのです
関係とは、点と点を結ぶ線のことで
点である私には、面積も体積もありません
私とは、単独で存在することのできない情報状態なのです
世界とは、つまるところ私の脳と心の中の存在でしかありません
脳が情報処理した結果が、この世界の様相であり
認識したものが認識した様で存在するのが世界なのです
この世は情報でしかありません
その情報の中心点が自我です
そして
線のつなぎかえで自我は変わります
2017-01-12 07:54:00
物理的実体に対する暫定
情報場における相対的関係性の
書き換えは、物理場で現象化する
(ただし、物理法則に反しない限りにおいて)
なぜなら
物理空間は情報空間に包括される一階層であり
物理的な実体は情報場の写像でしかないからです
と言われても、物理的実体に関しては
そうそう納得するわけにはいかないでしょう
とりあえず、現時点では
「物理は変わらないが、事実認識が変わる
素粒子の配列は変わらないが、様相が変わる」
という認識でいいとします