702講義室
2017-04-09 07:26:00
ほら、早く食べなさい!
子供が、お茶碗とお箸を手に持ったまま
テレビに夢中になって固まっている姿って
凄いと思う
この一点集中力と対極にあるのが
同時並行処理
新聞を読みながら、ご飯を食べながら
テレビを見ながら、家族と会話をする
がしかし
これは何処にも集中していないだけで
同時並行処理とは、とても言えません
同時並行処理もまた、極めて高い集中力
が必要なのです
ご飯を食べるときは、黙って食え!
というのが
禅宗の瞑想修行にあります
めんどくさい修行は出来なくても、せめて
食事はおいしくゆっくり、いただきましょう
2017-04-08 07:40:00
果報は寝て待て
ひらめきを得るための奥義
「まずは、問題意識ありき
で、その問題を考えることをやめようと決意し
本当に、その問題を考えることをやめてしまう
と、、、そのうちひらめく」(汗)
ひらめきに限らず
何かを求めるとは、顕在意識のなせる業です
この意識が強いほど無意識が働けないのです
どうやら、ここが奥義のようです
人間は、圧倒的に無意識に支配されていて
意識はそれほど重要ではないらしいのです
さらに、ひらめきと直感は違います
ひらめきは、理由のつく答ですが
直感は、理由もつかない答です
直感は、より無意識的なひらめきなのです
2017-04-07 06:13:00
歩く時には歩く
歩いている時
歩いていることに集中している人って
ほとんどいないのではないでしょうか
すでに、気持ちは目的地に飛んでいたり
時間や乗り継ぎばかり、気になっていたり
挙句の果てに、関係ないことを妄想しては
ひとりで、怒っていたりするかもしれません
歩く時には歩く
踵からつま先への接地感触から始まり
風の冷たさや肌触り、太陽のぬくもり
街の景色と、ざわめきに心を澄ませば
全く違う世界がそこにあることに気が付きます
吐く息、吸う息に気持ちを集中してみましょう
これだけでも立派な瞑想です
2017-04-06 08:33:00
禅ブラックホール
茶道
って、ただお茶飲むだけでしょ?
いいえ違います
ただお茶を飲むだけだから
茶道なのです
一挙手一投足 眼耳鼻舌身意
すべてを一点に集中してして
ただお茶を飲む
今ここという時空間の一極に、心を留め置く
私という実在の核心
本来の茶道とは
本来の仏教における禅(瞑想)そのものなのです
2017-04-05 07:27:00
脳の孤独
人間の裏舞台が
何もかも苦痛から成り立っているなんて
いったい
人間って、私の存在って
何が目的なのだろうか?
脳の自動処理システムが
自分の自由意思だというのなら
私などいらない
脳の呪縛から自由になるために
生まれ、生きているわけではあるまい
それとも
意識を持たない脳が、私をして
意識を持とうとしているとでもいうのか?
それなら
脳は何と戦っているのか?