702講義室
2016-12-11 13:15:00
物の色が意味するところ
物に色がついているとは
特定の色調を持つ周波数域の電磁波を反射しているということ
すべての光を反射した物は「白」く見え
すべての光を吸収した物は「黒」く見える
それは
「白」は拒絶を、「黒」は受容を
意味することになる
これは一般的なイメージからすると真逆の意味になる
色とはそもそも、物自体の個性を表現するものではなく
物が持たない性質、拒絶した異物の象徴なのである
つまり
吸収された色光にこそ、物の持つ本来の意味がある
と考える方が自然ではないだろうか?
2016-12-10 06:42:00
美しい色の秘密
人間はいつしか、体を守るためだけではなく、美しく着飾ることを覚えた
鳥や花が美しい色彩や文様を装うがごとく・・・・・
でもしかし
たとえば赤い花
赤い花は、なぜ赤いのでしょう?
それは、赤色が嫌いだから・・・・・
たとえば緑の葉
緑の葉は、なぜ緑なのでしょう?
それは、緑色はいらないから・・・・・
植物に緑色の光だけしか当てないと枯れてしまいます
植物は、緑色以外の光を吸収して生きているのです
光合成に緑色の光はいらないということ
だから、植物は緑色をしているのです
赤い花は赤い色の光を拒絶するから赤い色をしているのです
白い花はすべての光を拒絶しているのです
だからその真の姿は、闇・・・・・
私たちが美しいと思っている
鳥や花の艶姿の意味とは、いったい何なのでしょうか?
私たちは大きな勘違いをしているのかもしれない
2016-12-09 08:17:00
視覚における色認識の限界
今まさに、この眼で見ている風景は
現実の世界そのものではないのか?
ここで
色認識の限界について考察してみましょう
人間は物そのものを見ているわけではなく、物に反射した光を見ています
光とは電磁波のことです
周波数380nm~780nmを可視光といいます
人間は、この周波数域外の電磁波を見ることはできません
すでにこの時点で現実の世界を視覚は捉えきれてないのです
さらに
可視光には赤から紫まで、グラデーション的に無限の色が存在します
がしかし
人間はそのうちの3色 赤 緑 青 しか見ることはできません
網膜にある錐体細胞には3種類あり、それぞれが
赤 緑 青 の受光素子の役割を担っております
光の3原色 RGB の所以はここにあるのです
つまり
それ以外の色は、そのまま認識することはできず
RGB の成分のかけ合わせにより、
はじめてその他の色を認識できるのです
たとえば
自然界の黄は、黄そのものではなく赤+緑として認識するのです
いわゆるフルカラーとは、人間の認識できる限界カラーのことで
自然界に満ち溢れるであろう総天然色世界とは全く違うものです
そもそも我々の知る色とは脳が変換した色彩表現で
網膜がとらえることのできない電磁波周波数帯は
脳が色彩表現として画像処理することもありませんから
どのような色なのかは知りようのないことなのです
色そのものが存在しないといってもいいでしょう
つまり
人間の見ている色彩の世界は、人間の都合内でしかありません
人間は、見るという基本システムにおいて
現実を認識することなど初めからできないのです
2016-12-08 07:22:00
真の意味での「現実世界」など存在しない
仮に、客観的な現実世界があると仮定しても
人間が認識する現実世界は
自分本人のもつ記憶からなる現実世界でしかない
個々人にはそれぞれの現実世界があり
それらは全く異なる別の現実世界である
それら一つ一つの現実世界を、
認識する人間個々人の「内部表現」という
この「内部表現」こそが現実世界であり
自分自身から独立した絶対的な世界は存在しえない
認識できない世界は、存在しないのと同じである
つまり
真の意味での現実世界など存在しない
2016-12-07 08:08:00
認識するのは、常に今の自我である
現実の世界はモニタに映る小さなフレームの世界である
フォーカスのあったものしか見えず、何をフォーカスするかは
その時、何を重要だと思うかで決まる
さらに
見ているものに対する知識がないと認識できない
ボケているものは、見えている気になっているだけで
存在は認識されず、背景の一部でしかない
しかし
目はキョロキョロといろんなところをみている
結果、記憶には多くの情報が残ることになる
記憶の世界でフォーカスを決めるのは
過去ではなく今の自我である
すべての記憶は、今の自我によって解釈が変わる
つまり
同じ出来事が思い出した時の自我によって変わることになる
認識する自我は、常にリアルタイムの今の自我である
記憶の世界も現実の世界も全く同じである
遅延時間の長短の差でしかない