702講義室
2016-12-10 06:42:00
美しい色の秘密
人間はいつしか、体を守るためだけではなく、美しく着飾ることを覚えた
鳥や花が美しい色彩や文様を装うがごとく・・・・・
でもしかし
たとえば赤い花
赤い花は、なぜ赤いのでしょう?
それは、赤色が嫌いだから・・・・・
たとえば緑の葉
緑の葉は、なぜ緑なのでしょう?
それは、緑色はいらないから・・・・・
植物に緑色の光だけしか当てないと枯れてしまいます
植物は、緑色以外の光を吸収して生きているのです
光合成に緑色の光はいらないということ
だから、植物は緑色をしているのです
赤い花は赤い色の光を拒絶するから赤い色をしているのです
白い花はすべての光を拒絶しているのです
だからその真の姿は、闇・・・・・
私たちが美しいと思っている
鳥や花の艶姿の意味とは、いったい何なのでしょうか?
私たちは大きな勘違いをしているのかもしれない
2016-12-09 08:17:00
視覚における色認識の限界
今まさに、この眼で見ている風景は
現実の世界そのものではないのか?
ここで
色認識の限界について考察してみましょう
人間は物そのものを見ているわけではなく、物に反射した光を見ています
光とは電磁波のことです
周波数380nm~780nmを可視光といいます
人間は、この周波数域外の電磁波を見ることはできません
すでにこの時点で現実の世界を視覚は捉えきれてないのです
さらに
可視光には赤から紫まで、グラデーション的に無限の色が存在します
がしかし
人間はそのうちの3色 赤 緑 青 しか見ることはできません
網膜にある錐体細胞には3種類あり、それぞれが
赤 緑 青 の受光素子の役割を担っております
光の3原色 RGB の所以はここにあるのです
つまり
それ以外の色は、そのまま認識することはできず
RGB の成分のかけ合わせにより、
はじめてその他の色を認識できるのです
たとえば
自然界の黄は、黄そのものではなく赤+緑として認識するのです
いわゆるフルカラーとは、人間の認識できる限界カラーのことで
自然界に満ち溢れるであろう総天然色世界とは全く違うものです
そもそも我々の知る色とは脳が変換した色彩表現で
網膜がとらえることのできない電磁波周波数帯は
脳が色彩表現として画像処理することもありませんから
どのような色なのかは知りようのないことなのです
色そのものが存在しないといってもいいでしょう
つまり
人間の見ている色彩の世界は、人間の都合内でしかありません
人間は、見るという基本システムにおいて
現実を認識することなど初めからできないのです
2016-12-08 07:22:00
真の意味での「現実世界」など存在しない
仮に、客観的な現実世界があると仮定しても
人間が認識する現実世界は
自分本人のもつ記憶からなる現実世界でしかない
個々人にはそれぞれの現実世界があり
それらは全く異なる別の現実世界である
それら一つ一つの現実世界を、
認識する人間個々人の「内部表現」という
この「内部表現」こそが現実世界であり
自分自身から独立した絶対的な世界は存在しえない
認識できない世界は、存在しないのと同じである
つまり
真の意味での現実世界など存在しない
2016-12-07 08:08:00
認識するのは、常に今の自我である
現実の世界はモニタに映る小さなフレームの世界である
フォーカスのあったものしか見えず、何をフォーカスするかは
その時、何を重要だと思うかで決まる
さらに
見ているものに対する知識がないと認識できない
ボケているものは、見えている気になっているだけで
存在は認識されず、背景の一部でしかない
しかし
目はキョロキョロといろんなところをみている
結果、記憶には多くの情報が残ることになる
記憶の世界でフォーカスを決めるのは
過去ではなく今の自我である
すべての記憶は、今の自我によって解釈が変わる
つまり
同じ出来事が思い出した時の自我によって変わることになる
認識する自我は、常にリアルタイムの今の自我である
記憶の世界も現実の世界も全く同じである
遅延時間の長短の差でしかない
2016-12-06 08:11:00
「現実」と「記憶」は時間差に過ぎない
現実と記憶は時間差に過ぎない
記憶は時間を遅延させた認識である
現実の世界
体の神経(眼球から視神経を通って視覚野)を通じて認識
記憶の世界
脳にある記憶を呼び出して認識
現実の世界
ビデオカメラのレンズから回路を通ってモニタに映し出されたもの
記憶の世界
ビデオディスクからデータがモニタに映し出されたもの
現実も記憶も再生されたとき、今の自我に「見られ」る
自我がレンズの性能や方向・画角を決め、認識する
脳神経の働きは遅く、認識はリアルタイムではない
ものを見てから認識するまでに
200~300ミリセカンド(1/1000秒)ほど遅れる
遅延という意味では現実も記憶も同じ
現実の世界と記憶の世界は同じものである