702講義室
2017-03-16 01:43:00
現実という妄想
現実の90%は妄想である
睡眠時における夢は言うに及ばないが
人は、覚醒時においても
その大半を、浮遊する思考の中で
ありもしない現実をでっちあげては
ひとり、妄想に耽っているのではないだろうか?
そして
その妄想の大半はネガティブな記憶に基づく
不快で苦しみに満ちたものではないだろうか?
が、しかし
浮かんでは消える不安と怒りに満ちた妄想を
脳は、現実と区別することができないという
つまり
それを、現実として記憶に蓄積し続けるのである
蓄積され続ける記憶は、深い業(カルマ)に沈み
業によって、さらなる現実は創られることとなる
この悪循環を断ち切らない限り
今、この時を心穏やかに過ごすことなど望めない
それには、妄想を妄想と認識することが必要である
2017-03-15 08:23:00
大いなる勘違い 確たる現実
医者の親は、たいてい医者であり
東大生の親は、たいてい東大卒である
極端な言い回しではあるが
当たらずといえども遠からず
医者の子の居場所は、医者であり
東大卒の親の子の居場所は、東大なのだ
それは、遺伝的な能力の問題ではない
(多少はあるが・・・)
それは単に「そうなのだ!」と
信じて疑わないからに他ならない
2017-03-14 08:18:00
欲と執着の正体
人間が、本質的に求めてやまないもの
それは
自分自身の居場所ではないだろうか?
名誉も、地位も、金も、愛も、幸せも、命までも
それらが意味するところは
つまるところ、居場所ではないだろうか?
そして人間は、良くも悪くも
全身全霊でその居場所に執着する
ならば
あらゆる問題は
居場所という視点をふまえることによって
解決へと歩み寄れるのではないだろうか?
2017-03-13 08:22:00
匿名という本名
匿名性の高い掲示板などにおいて
攻撃的な書き込みが、さらなる書き込みを呼び
増悪の炎が燃え上がるということがよく起こる
自分が誰だかバレないから大丈夫だろう
これは、本来の自分ではないから大丈夫
という言い訳のもとに
狂気の妄想や罵詈雑言は繰り返される
がしかし
そこにさらけ出された増悪の姿こそが
隠蔽された本当の自分の姿なのだ
怒りという苦痛は、つかの間の快楽と誤認され
その苦痛をさらなる怒りの快楽で埋めあわせる
繰り返される快楽が深い業を自我に蓄積する
2017-03-12 07:45:00
地獄の快楽サイクル
快楽とは、苦痛のデータ変換に過ぎない
つまり
実際には苦痛であるのにもかかわらず
快楽だと誤認させられているに過ぎない
快楽は実在するものではなく
基本的には
苦痛の減少を快楽だと認識する
初めに苦痛・不快な状況があるとする
その苦痛に別の苦痛を加えることで
先の苦痛が覆い隠され感じられなくなる
(この時、ドーパミンが放出されている)
それを快楽と認識するのであるが
しかし、先の苦痛が消滅しようがしまいが
(ドーパミンの放出が停止することにより)
残った苦痛に対し、さらなる別の苦痛を加えることが必要となり
それが、さらに苦痛を深めることになるというサイクルになります
たとえば、怒りの発散による快楽は
怒りが、苦痛としてそのまま心身・状況供にむしばむことになり
その苦痛をさらなる怒りにより消し去ることで快楽を得ようとする
さらに
この怒りのサイクルは記憶に蓄積されることとなり
反射的思考を確固たるシステムとして構築する
それが、次に入力される情報を自動的に怒りの
対象として認識し、反応することを余儀なくする
これが仏教でいう業(カルマ)であり
悪人は、この業から逃れるすべはない
今ここが、すなわち地獄となるのだ