2017-03-12 07:45:00
快楽とは、苦痛のデータ変換に過ぎない
つまり
実際には苦痛であるのにもかかわらず
快楽だと誤認させられているに過ぎない
快楽は実在するものではなく
基本的には
苦痛の減少を快楽だと認識する
初めに苦痛・不快な状況があるとする
その苦痛に別の苦痛を加えることで
先の苦痛が覆い隠され感じられなくなる
(この時、ドーパミンが放出されている)
それを快楽と認識するのであるが
しかし、先の苦痛が消滅しようがしまいが
(ドーパミンの放出が停止することにより)
残った苦痛に対し、さらなる別の苦痛を加えることが必要となり
それが、さらに苦痛を深めることになるというサイクルになります
たとえば、怒りの発散による快楽は
怒りが、苦痛としてそのまま心身・状況供にむしばむことになり
その苦痛をさらなる怒りにより消し去ることで快楽を得ようとする
さらに
この怒りのサイクルは記憶に蓄積されることとなり
反射的思考を確固たるシステムとして構築する
それが、次に入力される情報を自動的に怒りの
対象として認識し、反応することを余儀なくする
これが仏教でいう業(カルマ)であり
悪人は、この業から逃れるすべはない
今ここが、すなわち地獄となるのだ