702講義室
2017-03-06 09:18:00
年を取ると時間が早くなる?
あるがままから離れた認識とは
過去の記憶による照合解析
記憶情報の合成処理
のことである
この度合いが多いほど、人間の認識は
直接的な物理情報から離れることになる
記憶量が多いほど
この認識の簡略化は、容易になる
つまり年を取るほどに、この傾向が顕著になる
さらに、記憶量の多さは、浮かんでは消える
脳内妄想の多さにも比例するであろう
時間とは物理現象である
つまり
認識される物理空間が少なくなることにより
1日の時間が短くなる
ゆえに
時間が早く過ぎると感じられるのではないだろうか?
2017-03-05 05:05:00
奇跡の正体
私たちの世界は、いろんな音に満ち溢れています
風のささやき、人の話し声、車の音、町のざわめき
ひとつひとつ音は、それぞれ固有の要素
音色、音階、音量、音長などを持ち
自分の存在を主張しているのでしょうか?
しかしそれらの音は、しょせん音でしかありません
混沌とした音のうねりの中に
人間が起こした奇跡
その奇跡とは
何かしらの連なりを見出したとき
メロディーが生まれ
音の重なりを見出した時とき
ハーモニーが生まれ
異なる要素がまじりあったとき
シンフォニーが生まれました
2017-03-04 08:13:00
ひらめきの正体
満点の夜空に輝く星々
それぞれの星々は
それぞれの事情で
それぞれの場所で
運動し、輝いています
一見関連性のない個々の星ではあるが
それらが関係性を持ち、線でつながるとき
突然
白鳥だとかオリオンが現れ、神話が生まれます
この世には、絶対的な存在などありません
この世は、相対性関係性「縁起」にあります
あるのではなく、つながっているのです
一見、混沌(カオス)とした構成要素に
関連性、整合性が生まれるとき
世界は全く違う様相に変容するのです
2017-03-03 08:33:00
業(カルマ)とは何か?
仏陀は、輪廻転生を否定しました
天国も地獄も認めませんでした
さて、それを踏まえたうえで
業(カルマ)とは何か?を考えてみましょう
仮に、魂が生命エネルギーのようなものとして
存在すると仮定しても、自我は継続できません
なぜなら
自我とは、記憶を基にした評価関数でしかなく
脳細胞が死滅すれば、自我もまた消滅します
さて、炎天下に汗だくで外出から帰ってきたとします
冷蔵庫を開けると、よく冷えたカルピスがありました
ある人は「ああ、ラッキー♪冷たくておいしい!
生き返るよぉ~」と、うれしさいっぱいで飲み干しました
ある人は「カルピスって牛のおしっこっていう意味だろ?
バカにしてるのか!」と、悪態をつきながらら飲みました
どちらも、全く同じカルピスです
この違いはなんでしょうか?
ものに対する認識思考回路の違いです
何事に対しても、不平不満にしか解釈できない
不快評価認識パターンの出来上がっている人には
すべてが怒りの対象としてしか認識できないのです
あっち向いても、こっち向いても、反発心をあらわにし
それによってしか自己主張できない人っていますよね
このように蓄積された続けた怒りと不満の記憶こそが
業(カルマ)ではないでしょうか?
その人にとって
今現在、ここがまさに地獄なのでしょう
2017-03-02 08:39:00
偽善で何が悪い
目の前に広がる世界は、私そのものである
私を離れて現実など存在しない
私が神になり代わる以上
絶対的な善など存在しえない
ならば、絶対的な悪もありえない
あるのは偽善だけ
しかし、たとえば相対的に
30%の善意、50%の善意、70%の善意
何%かの純粋な善である行為なら
偽善もまた大したものだと思う