702講義室
2018-03-18 14:47:00
逆さメガネ、敗れたり!
たとえば、脳梗塞などで
右脳が損傷すると、左半身が不自由になり
左脳が損傷すると、右半身が不自由になる
という話を聞いたことがあると思います
これは、脳と体の各部分をつなぐ神経が、延髄のところで交差していて
右半身の運動は左脳が、左半身の運動は右脳が担当しているからだそうで
左右が逆になっています
さらに、首から下の胴体に関して上から
首→胸→腹→腰→太もも→足
は、脳の担当箇所が、脳のてっぺんから
足→太もも→腰→腹→胸→首
と、上下が逆に配置されているそうです
では、眼の場合はどうでしょう
右眼が左脳、左眼が右脳
とは、なっておらず
右眼、左眼の右視野が左脳
右眼、左眼の左視野が右脳
の担当となっているそうで
少しわかりにくいですけど、左右は逆になっているわけです
さて話は変わって、人間が物を見るという時
物に当たって反射された光が、眼のレンズを通して網膜に像を結びます
この時、網膜上には、上下左右逆さまになった画像が投影されています
でも
世界は、上下左右まともに見えていますよね
テーブル左に見えるコップを、左に伸ばした左手でつかむことが確かにできるのですから
それは、脳が意図的にそのように視覚情報処理をしているから
脳がその条件に合わせて解釈をしているからでしかないというのです
「逆さメガネ」というのをご存知でしょうか?
レンズのプリズムにより、世界が逆さまに見えるものです
このメガネをかけるを、網膜上に画像が正立して投影されます
すると
世界が上下左右逆さまになって見えてしまうことになるわけです
がしかし
1週間も、このメガネをかけ続けると
気がついた時には、世界は元通り正立して、普通に見えるようになっているそうです
メガネの見せる逆さ世界に慣れたのではありません
網膜に投影されている画像は、上下左右逆さのままですが
脳が、その入力条件に合わせて情報処理方法を変更するからだそうです
基準となる世界が変更されると、脳は自らその解釈を変えてしまうというのです
ですから、今度は
逆さメガネを外せば、世界は上下左右逆さまに見えることでしょう
では
これを、色でやればどうなるか?
赤(R)→緑
緑(G)→青
青(B)→赤
に変換するメガネをかけると、世界はどのように見えるでしょうか?
そうです
時間がたてば、元と同じように見えるのだそうです
(本当でしょうか?にわかには信じられないのですが・・・)
これってどういうこと?
客観的外界よりも先に、脳の世界の方があるってことになる?
2018-03-17 12:01:00
文脈という美術
昔、の話ですが
美術雑誌上で、画家が自分の作品について懇々と語っている記事を見て、よく険悪感を覚えたものです
まあ、それらの文章は形容詞だらけの何が言いたいのかさっぱりわからないものではありましたが
この人は、画家になどならずに、詩人にでもなった方がよかったんじゃないか?なんて、文学に対して失礼なことを思ったものです
また、こんな話もあります
絵に説明などいらない
絵は、鑑賞者がそれぞれの見方で感じてくれればいいのだ
絵は、作家の手を離れた時点で、鑑賞者のものとなる
これまた、もっともらしい話ではあるが
なんとも、いい加減で無責任な言いぐさだと思わずにはいられません
さて、時代は移って
前提条件として、コンセプトありきの現代美術、花盛りの今
「文脈としての美術」の根拠をどのように捉えればいいのでしょうか?
ということについて考えてみたいと思います
美術絵画は、視覚表現による芸術です
人間は、外界の情報を五感(視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚)により取り入れ、脳で処理することにより認識します
がしかし
この段階では、動物と同じように、カスミのかかったようなぼんやりした認識にしかなりません
犬は、自分の飼い主と他人を見分けることができます
食べ物と食べれないものを区別することもできます
でも
犬には、トヨタとホンダの車を見分けることはできません
赤とオレンジを区別することもできません
なぜでしょう
それは、言語を持たないからです
人間は、言語の獲得によって、混沌とした世界を明確に認識し、思考することができるようになりました
言語は、五感を整理統括する複雑な情報処理を担うメタな機能となり
人間は、言語を駆使することにより、高度な文明、文化を生み出しました
人間は、言語によって
お金を発明し、社会を形成し、科学を発展させ、過去や未来そして宇宙の果てから量子の世界にまで思いを巡らせるのです
さて
高度な人間活動の一つである芸術、美術絵画もまた
五感の一つである視覚情報の言語空間における産物であると言っていいでしょう
ならば
美術がメタな言語機能を基盤としていることになんら矛盾はなく
しごく当たり前の姿であると言っていいことになります
それが、高度に発展した現代美術のあり様だと考えてもいいのかもしれません
2018-03-16 09:36:00
科学 L(-_-)_/☆Ω チーン
「サーモスタットにも意識がある」
哲学者チャーマースの言葉です
が、なんともいやはや
「すべてのものに神は宿る」とかなんとか
もうちょっと、味のある言い方はできなかったのでしょうか?
こんな話を聞いたことがあります
魂だとか霊魂だとか
そんな胡散臭いものを全部取り払って、徹底して物質科学的に「意識」というものを考えた場合
「意識は、神経ネットワークの上を神経インパルスが走るという、脳の物理的な機能から生まれる」
ということになり
「物理的機能が同じであれば、神経を作っている物質の種類は、関係ない」
ということになるのだそうだ
つまり
「ネットワークと信号さえあれば、程度の差はあれ意識は生まれる」
脳の神経細胞の相互作用が意識を生むという科学的態度を堅持すれば、意識が生まれなくてはいけないらしい
となると
道端の石ころも、分子同士のエネルギー相互作用を信号のやり取りとみなせば、意識を持つことになり
地球も、太陽も、銀河系も、宇宙全体も
重力相互作用を成すネットワークと信号からなる系であり、意識を持っていると言わざるを得ない・・・・・ことになるのだそうだ
ナンマイダ- L(-_-)_/☆Ω チーン
2018-03-13 15:06:00
見えないって、こんな感じ
人間は、自分の知っているものしか認識出来ない
人間は、自分にとって重要なものしか認識しない
そう言われても、そうそう納得できるものではないでしょう?
いや、目の前にあるものは、全部見えてるよ
テーブルの上にあるものは、全部認識できているよ
って・・・・・
いえいえ
認識できているものは、あなたに見えているものだけですよ
って・・・・・言われても、困ります
何もない道を歩いていて、突然何かにぶつかったりしたらどうでしょう?
いや、ぶつかるくらいなら、それは重要なものでしょう
話がややこしくなるばかりです
半側空間無視(はんそくくうかんむし)という脳の症状があります
これは、脳の病気、症例なのですが
なんとなくニュアンスがつかめるかもしれませんのでご紹介します
例えば、左半分の世界が無いのです
視界の左半分が、真っ黒なわけではありません
本人は、いたって普通に見えていると思っているのです
ところが、それこそ先ほど言いましたように
何もない(はずの)道を歩いていて突然、左肩が何か、たとえば電信柱にぶつかるというようなことが起きるのです
テーブルの上に、料理のお皿が何枚かおいてあるとします
テーブルの上のものは、全部見えていたつもりなのですが
いざテーブルについて、食事を始めると
テーブルの上の左側にあるお皿には、気が付かないのです
さらに、お皿の上の料理を食べ始めると
お皿の左半分にも料理があることに、気が付かないのです
気が付かないとは、視野の左半分に意識がいかないということです
つまり、見えていないのです
ものを見るとは、このように意識という脳の機能に深く関係しているのです