2018-01-24 07:38:00
誰もが芸術だと認める、ゴッホの「ひまわり」
さて
具体的に、この作品のどの部分が芸術なのでしょうか?
黄色い色なのか?燃えるようなタッチなのか?
構図なのか?モチーフである向日葵そのものなのか?・・・
どれも違うと思います
芸術などという大それた概念を受け止めるほどのものではないでしょう
それでは、すこし話を変えます
生きている人間のどこに命があるのでしょうか?
心臓にあるのか?脳にあるのか?それとも他の器官にあるのか?・・・
どこにもありません
じゃ
心は、どこにあるのでしょうか?
脳の神経細胞をすべて探しても、みつからないでしょう
命にも、心にも実体などありません
しかし
私たちは確かに生きているし、心は存在します
命という実体はないけれども、生命活動はある
心という実体はないけれども、意識活動はある
それと同じように
芸術という実体はないが、芸術活動があるから芸術なのだ
芸術とは、実体にではなく、恒常的活動に宿るものである
そう思うのです
例えば、ゴッホの「ひまわり」をそっくり模写しても
それは、芸術作品にはなりません
模写をした人に、ゴッホの芸術活動がないからです
芸術とは、そのようなものだと思います