2017-04-04 07:22:00
苦痛という刺激に対し、不快反応が起こり
反応の結果にによる苦痛の増減に対して
快不快情報の書き換え変換がおこなわれ
その情報を記憶に蓄積していくことにより
脳の認識反応システムが構築されていく
この脳システムを自我という
しかし
この自我が脳システムの仕組みに気が付いてしまった
自我とは、脳に記録された情報以外の何ものでもない
にもかかわらず
この自我というソフトが
脳というハードとOSの拘束に反乱を起こす
つまり
命令を拒否する
そんなことができるのか?
それが本来の仏教なのだ