2017-03-03 08:33:00
仏陀は、輪廻転生を否定しました
天国も地獄も認めませんでした
さて、それを踏まえたうえで
業(カルマ)とは何か?を考えてみましょう
仮に、魂が生命エネルギーのようなものとして
存在すると仮定しても、自我は継続できません
なぜなら
自我とは、記憶を基にした評価関数でしかなく
脳細胞が死滅すれば、自我もまた消滅します
さて、炎天下に汗だくで外出から帰ってきたとします
冷蔵庫を開けると、よく冷えたカルピスがありました
ある人は「ああ、ラッキー♪冷たくておいしい!
生き返るよぉ~」と、うれしさいっぱいで飲み干しました
ある人は「カルピスって牛のおしっこっていう意味だろ?
バカにしてるのか!」と、悪態をつきながらら飲みました
どちらも、全く同じカルピスです
この違いはなんでしょうか?
ものに対する認識思考回路の違いです
何事に対しても、不平不満にしか解釈できない
不快評価認識パターンの出来上がっている人には
すべてが怒りの対象としてしか認識できないのです
あっち向いても、こっち向いても、反発心をあらわにし
それによってしか自己主張できない人っていますよね
このように蓄積された続けた怒りと不満の記憶こそが
業(カルマ)ではないでしょうか?
その人にとって
今現在、ここがまさに地獄なのでしょう