2017-01-26 07:42:00
我々の生きる現実世界とは
我々個々人の抱く煩悩の映し絵に他ならない
すなわち
人間は煩悩から逃れるすべはないのだ
煩悩を滅する修行もまた煩悩であり
生きとし生けるものの救済を願う
仏の請願とは、究極の煩悩なのである
人間の苦は煩悩より生まれるゆえ
煩悩が生み出すこの世が苦である
ことは、しごく当たり前のことである
このような図式の中で人間はいかに
生きればいいというのであろうか?
幻であるこの世の様にとらわれるかぎり
救われることはないであろう
空願と仮願によって
空でもあり仮でもある自分自身を徹底的に
見つめることから始めなければならない
あらゆる角度から、さらに過去未来という時間をも
超えて自分自身を見つめ直すことにより
この世はいかようにもその様相を変える幻である
ということを見極め
現在の自分をあらためて解釈しなおしたうえで
自分自身を徹底的に肯定する
煩悩を極限まで肥大させることは
自分自身の枠を超へ
生きとし生けるものすべてを肯定する
ことにつながる