2017-04-04 07:22:00
苦痛という刺激に対し、不快反応が起こり
反応の結果にによる苦痛の増減に対して
快不快情報の書き換え変換がおこなわれ
その情報を記憶に蓄積していくことにより
脳の認識反応システムが構築されていく
この脳システムを自我という
しかし
この自我が脳システムの仕組みに気が付いてしまった
自我とは、脳に記録された情報以外の何ものでもない
にもかかわらず
この自我というソフトが
脳というハードとOSの拘束に反乱を起こす
つまり
命令を拒否する
そんなことができるのか?
それが本来の仏教なのだ
2017-04-03 02:01:00
基本的に、餓死することのなくなった日本において
価値観の基準は
もはや、他人への優越性でしかない
すべての評価基準は、結局世間体なのだ
夢であろうが、成功であろうが、幸福であろうが
結局、他人に自慢したいだけなのだ
1億2千万人、総自意識過剰時代
私とは何か?を説明するには
私以外との関係性によってしか定義できない
世界は、相対的関係性によって成り立っている
私という絶対的存在などないのだ
2017-04-02 07:58:00
苦痛の解消された安楽な状態
これが幸福なのかといえば
そうではない
苦痛の軽減に対して快楽を感じるため
快楽には前提として苦痛が必要なのだ
夢が実現した幸福感も束の間のこと
不安や苦しみの無くなった状態では
刺激の無い物足りなさに苦痛を感じ
その苦痛を解消するために
他の苦痛を求めることになる
これでは、永遠に幸福などあり得ない
2017-04-01 07:12:00
努力を重ねる行為を、強い意志によるもの
と賞賛するが、これには疑問がある
なるほど
努力が実った瞬間の達成感は、得も知れないものではあるが
それは一瞬の喜びにすぎず、ひと晩すら高揚感は持続しない
という事実を見逃してはならない
その後に襲われる
空虚感、脱力感、焦燥感にはすさまじいものがある
意識してこの事実を感得してみるに、驚きのほかはない
薬物依存における離脱状態とほぼ同様の症状であろう
この苦しさから逃れるために
すぐに
さらなる目標に向かわざるを得ない
自分がいるのだ
これが欲望の連鎖のメカニズムである
この努力の果てに幸福などあろうはずがない